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「夢」を叶え、
「未来」を切り拓く男たち

歴史に名を残すエンジニアの条件とは?
それは、卓越した発想と技術を持つスペシャリストであり、
たゆまぬ探求心で自ら「未来」を切り拓こうとする意志の持ち主であること。それは、図らずも歴史が物語っている。
かたやその豊かな創造性で、最も偉大な自動車設計者として語り継がれる男。
かたや宇宙開発の分野で、技術革新への挑戦に燃える男。
ふたりのエンジニアが描いた夢が、時代を超えて、ここに交錯する。

※記事の掲載内容は2017年8月現在のものです。あらかじめご了承ください。

  • ヴィットリオ・ヤーノ
  • 森田 泰弘

「速さへの欲望」を
最大限の創造性で具現化した男

ヴィットリオ・ヤーノ Vittorio Jano (1891-1965)

ヴィットリオ・ヤーノVittorio Jano (1891-1965)

ピエモンテ州出身の自動車エンジニア。
自動車史にその名を刻むレーシングカーと量産車設計の両方に才能を発揮し、情熱のマシン、小型高性能車アルファ ロメオの礎を築いた。

イタリアは食の国、ファッションの国、芸術の国。そして名車の国。その影に歴史に名を残す多くの自動車エンジニアが存在したことはもちろんだ。キラ星のごとく居並ぶ名設計者の中でもっとも偉大と言われるのがヴィットリオ・ヤーノ。高性能車の原点を築き、アルファ ロメオにエモーショナル・メカニックの血を注ぎ込んだのが彼だった。

ヴィットリオ・ヤーノ Vittorio Jano (1891-1965)
アルファ ロメオへの入社後、ヤーノは驚くほどの短期間で、最初の車「P2」を設計する。「P2」は、レース初戦で早くも優勝を飾るなど、ヤーノの名は、たちまち高まっていくこととなる。

フィアットでキャリアをスタート

ヤーノは1891年、トリノで生まれた。軍需工場のチーフ・メカニックであった父の傍らで幼い頃から機械に親しみ、20歳のときフィアットに入社。量産車とレーシングカーの設計でめきめき頭角を表した。彼の才能に目をつけたのがアルファ ロメオ。引き抜きが画策される。文字通りヤーノを迎えに行ったのは当時、同社のドライバーだったエンツォ・フェラーリで、トリノにある自宅まで赴き説得に臨んだ。エンツォは、フィアットでヤーノが貰っていた月収1800リラの倍額と住まい、ボーナスを提示した、こんなエピソードがトリノ自動車博物館の資料には残されている。

ヴィットリオ・ヤーノ Vittorio Jano (1891-1965)
1923年にヴィットリオ・ヤーノが設計したP2”Grand Prix”。ライバルたちを寄せ付けぬ強さで1925年、初のコンストラクターズ・チャンピオンシップをアルファ ロメオにもたらした。

多くの傑作を次々と生み出していく

彼がアルファ ロメオ入りしたのは1923年9月のこと。以降多くの傑作が凄まじい勢いでミラノから生み出されて行く。製作期間の短さ、そして量産車からスポーツカー、グランプリカーまで次々と術中におさめるバリエーションの豊富さがヤーノの才能を示すが、最大の特徴はレースに勝利するクルマを設計したこと。入社後、最初に任されたのはモノポスト(シングルシーター)のP2だが、このマシンの登場によってグランプリ・レースでの華々しい活躍が始まった。デビュー戦となったクレモナ・サーキット・レースで当時としては驚きの195km/hを記録。いきなり優勝をさらい、同年10月のイタリアGPではアントニオ・アスカーリが駆るP2の余りの速さにモンツァ・サーキットのディレクターが速度の自粛を呼びかけたほど。1930年には改良型P2に進化。この年のタルガ・フローリオで圧倒的な速さを見せ、ブガッティの6年連続優勝に歯止めをかけたのだった。P2はなんと7年にわたってブガッティ、サンビーム、メルセデスを抑え多くの勝利を手中に収めた。

レースではライバル車たちを打ち負かす

このアルファ ロメオでの処女作が次々記録を打ち立てる一方で、ヤーノは 6C1500を設計する。これはレーシング・マシンの技術をフィードバックした小型ハイ・パフォーマンスのロードカー。大衆に食い込むフィアットへの対抗手段として業績拡大を狙うアルファ ロメオが1925年のミラノショーで発表した意欲作だった。1.5ℓという小排気量エンジンでありながら6気筒、SOHCという贅沢なスペックが与えられた6C1500は、アルファ ロメオの特徴である高品質/高性能車のルーツとなるもので、販売が開始されると圧倒的な人気を呼んだ。6C1500シリーズはDOHC搭載の<スポルト>、出力をアップした<スーペル・スポルト>とヴァージョンを広げつつ、モータースポーツへの参戦を開始。初戦を勝利で飾った時ステアリングを握ったのは、ヤーノをスカウトしたエンツォ・フェラーリだった。この後エンジンを拡大した6C1750が登場するが、これぞヤーノの最高傑作のひとつとされるもの。ミッレミリアという1600km余りの距離、未舗装の道、変わりやすい天候という不確定要素も含め過酷なレースにおいて、巨大エンジンを搭載したライバル車たちを1752ccながらパワーとスタミナで打ち負かす姿がイタリア人を熱狂させた。アルファ ロメオが彼らの血を沸かせるのは、街から街へ、ブレシア-ローマを往復するミッレミリアの活躍に起源を持つが、その起源を作り出したのはヤーノと言って間違いない。

ヴィットリオ・ヤーノ Vittorio Jano (1891-1965)
アルファ ロメオの歴史を創った主人公たちの集合写真。左からルイージ・フージ、ジョアッキーノ・コロンボ、エンツォ・フェラーリ、ヴィットリオ・ヤーノと彼の息子。右端はジョゼッペ・メロージ。

イタリア人が何より好む速さへの欲望を最新鋭の技術と最大限の創造性で具現化したのがヤーノ。彼の仕事への姿勢は親友だったエンツォ始め、上司や同僚が「常に確信を持った取り組み方をするエンジニア」と評している。しかしなぜか彼自身の日常や性格について語ったものは極端に少ない。その軌跡も人となりもヤーノが生み出した名車が語っているということなのだろう。「伝説」「無敵」「サラブレッド」「カーポラヴォーロ」「宝石」「不朽の名作」、多くの賞賛が彼の設計した自動車に添えられている。

技術の進歩と人間の感性で
新たな未来を切り拓く

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)

森田 泰弘Yasuhiro Morita (1958-)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)
宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授
宇宙飛翔工学研究系の教授として教鞭を執るかたわら、JAXA統合後の固体燃料ロケットプロジェクトを指揮、ロケットの“芸術品”と謳われたM-V(ミューファイブ)ロケットのプロジェクトマネージャを務めたのち、2010年4月より2017年3月までイプシロンロケットプロジェクトマネージャを務めた。

※記事の掲載内容は2017年8月現在のものです。あらかじめご了承ください。

昼夜を問わない研究・開発から新たな技術を獲得し、革新的なプロダクトを世に送り出すエンジニアは、つねに未来を見据えている。その代表的な人物が、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に在籍する森田泰弘氏だろう。長きにわたって日本のロケット開発に携わってきた森田氏が目指すのは、ロケットが人々を乗せて毎日のように宇宙へ飛び立つ未来。その実現のためにイプシロンロケットを開発し、現在もさらなる改良に取り組んでいる。ロケットに“エモーショナルな付加価値”を追求する、森田氏の開発エピソードを聞いた。

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)

「世界と肩を並べる」ではなく、
「世界のその先」を目指す

2013年に打ち上げられた初号機に続き、2016年に2号機の打ち上げに成功したイプシロンロケット。その開発の舞台となったのは宇宙航空研究開発機構(JAXA)である。今もなお続くこのプロジェクトをこれまで率いてきたのは森田泰弘氏。森田氏はこの新たな固体燃料ロケットを「未来を拓くロケット」と呼んでいるが、そもそも一般人からすると宇宙やロケット開発自体が“未来”の象徴そのものに感じられる。森田氏にとってロケット開発における未来とはどのようなビジョンなのだろうか。

「(私が意味するところは)宇宙ロケットが飛行機のように身近な存在になる世界のことです。打ち上げのたびにメディアのニュースになるロケット発射を、毎週のように空へ飛んでいく日常的な存在にしたい。これこそが、我々が10年、20年先に描く未来像で、そこへ向けた第一歩がイプシロンロケットなんです。イプシロンロケットのような固体燃料ロケット開発において、チャレンジ精神こそがそのDNAと言われています。言い換えれば、技術革新への挑戦。その集大成として“モバイル管制”の打ち上げシステムを開発し、イプシロンロケットをもって世界を驚かせることができました」

イプシロンロケット開発では、打ち上げシステムをできるだけシンプルにすることに取り組んだ。それまでのロケット発射には約80人の技術者が管制室にスタンバイしていたが、イプシロンロケットの管制室には8人と約1/10にまで低減。これは自動点検といった新しい技術に支えられて達成したものだ。また、管制のための装置もこれまでは特注品の装置が何台も必要だったが、イプシロンロケットでは移動可能なほどまでに小型化し、管制室のモニターにはパソコンを用いるなど、コンパクトなロケット発射システムに進化している。このシステムこそが、森田氏が述べるモバイル管制である。

「NASA(アメリカ航空宇宙局)やESA(欧州宇宙機関)と比べると、日本の宇宙予算は桁違いに少ないんです。その中でも我々の固体燃料ロケット開発は予算も人も少ない中で、何をやるべきかを考えるわけです。世界と同じことをしていては、仮に成功しても誰の目にも留まらない。だからこそ、世界が挑戦できないようなことを我々は成し遂げようと開発を進めてきました。要は、世界と肩を並べるという発想はなくて、世界の先を目指すという発想なんですね」

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)

過去のことは忘れて、
自分たちの未来を切り拓く

森田氏をはじめとするイプシロンロケットのプロジェクトメンバーが描く未来。そこでは、ロケットが飛行場を離着陸し、整備と点検を経てまた宇宙へと飛んでいく。モバイル管制のデバイスとしてパソコンではなく、スマートフォンで操作してロケットの発射ができるような仕組みもありうるだろう。

「このような新しい仕組みに誰もチャレンジしなかったのかというと、ロケットで一番怖いのは失敗なんです。失敗を怖れて、大きい設備、大人数、長時間を費やすという巨大システムを変えようとしなかった。それを変えたイプシロンロケットは僕らの自慢。『やればできること』と『実際にやること』の間にある、エベレストのような高い壁を超えたのですから」

壁を超えて大きな達成感に満ちた一方、その過程ではたくさんの困難も経験した。森田氏は、その原因を「歴史が重すぎたから」と振り返る。つまりイプロシロンロケットの先代にあたるM-V(ミューファイブ)の存在があまりに偉大すぎたのだ。M-Vとは、あの小惑星探査機「はやぶさ」を宇宙に送り届けた日本が誇る固体燃料ロケットのことである。

「パワーが限定される小型の固体燃料ロケットをもって、遠くの小惑星まで探査機を打つというのは普通できないこと。それを可能にしたM-Vは世界最高性能の固体燃料ロケットであり、芸術品に近いクオリティでした。それゆえに、その後を継ぐロケット開発は大変なもので、実際の開発に移行できる条件として“M-Vを超えるロケット”でなければいけないという難題が突きつけられました」

それでもロケット開発を愛するプロジェクトチームはM-Vを越えようと試みた。しかし、そこには想像すらできない大きな障害が立ちはだかり、イプシロンロケットの原型にたどり着くまでには3年もの歳月を費やしたという。

「偉大すぎるM-Vを原点に工夫を重ねようとすると、2〜3割くらいしか改良できなかった。プロジェクトメンバーみんなで暗中模索しましたが、なかなか答えが出ない時に、僕の恩師である東京大学名誉教授の秋葉鐐二郎先生に、『M-Vのことは忘れて、自分たちの未来を切り拓け』と言われたんです。その瞬間から過去に囚われていた頭が180度切り替わり、未来に向かいました」

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)

ロケットにエモーショナルな
付加価値を感じる未来

自動車業界ではIT技術の発展により、自動運転技術をはじめとする技術革新が進み、それによって自動車がドライバーをサポートする領域が拡がってきている。しかしトレンドの中心は、機械的な優秀性を追求する「自動車中心」の開発方針が一般的だ。がしかし、アルファ ロメオでは、ドライバーの感性を追求する「人間中心」の開発を貫いている。「人間と機械のバランスが重要」と語る森田氏は、そんなアルファ ロメオのものづくりに強いシンパシーを感じるともいう。

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)

「能力が限られている小型固体燃料ロケットで小惑星に行くということは、普通は不可能です。でも、僕らがそれを可能にできたのは、ディテールにこだわったからなんです。その結果、M-Vの価格は高くなってしまいましたが、僕らにはチープなものを大量生産しようという発想がありませんでした。価値のわかってくれる人にロケットを使ってもらいたいから。一方、とにかく宇宙に行ければいいという人たちが現れてきたこれからのロケット業界で、低コスト化を図りながら高品質をいかに守っていくかというのがイプシロンの重要なテーマです。たとえばクルマ選びの要素として、パワーやトルク、それに対する価格などが挙げられますが、それだけでクルマを選ぶかといえば、そうではない。ほかにもいろいろな性能があるし、究極的には物理量に換算できないフィーリングがとても重要だと思う。僕はロケットにもエモーショナルな付加価値を感じる未来が訪れるはずだと信じています」

低コスト化を目指しながら、長く使えるものを作るという視点は重要だが、そこに技術の進歩と人間の感性(エモーション)が連動していかなければ、新たな未来は拓かれていかない。森田氏とイプシロンロケットの存在は、そんなエンジニアリングの理想型を体現しているといえるだろう。

森田 泰弘 Yasuhiro Morita (1958-)
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