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Alfa Romeo F1 Team ORLENJapan official site

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Born from Racing

情熱の走りよ、魂を揺さぶれ。そして、極限の興奮を呼び覚ませ。

110年以上を超える歴史の中で、
サーキットで勝ち取ってきた栄光。
勝利への執念と革新技術によって追求した、極限の走り。
そこに注ぎ込まれた狂おしいほどの情熱は、
数多の名車たちを生み出すエッセンスとなっていった。
そう、幾多の困難に見舞われようとアルファ ロメオは、
不滅のレーシングスピリットによって世界中を熱狂させ、
その命脈を受け継いできたのだ。
アルファ ロメオは、さらに磨きをかけた情熱の走りで、
あなたの魂を揺さぶり、
極限の興奮と歓びを呼び覚ます。

Race Result

FIA F1世界選手権
アルファ ロメオ F1チームのレース結果

Team/Driver

情熱の戦士たち

昨年までドライバーを務めたキミ・ライコン選手と同じ
フィンランド出身のバルテリ・ボッタス選手は、
メルセデスで通算10回の優勝を果たすなど、
現在のF1を代表するトップドライバー。
また、中国人として初となるF1フルタイム参戦を果たす
周冠宇(ジョウ・グアンユー)選手は、
期待のルーキー。
この2人に加え、リザーブドライバーのロバート・クビサ選手と
フレデリック・ヴァスール チーム代表のキャリアを紐解く。

machine

Alfa Romeo F1 Team ORLEN C42

2022年シーズンを戦う最新マシン『C42』

history

  • アルファ ロメオ時代のエンツォ・フェラーリ
  • ブラバム-アルファ ロメオ BT-45

F1創世記の英雄たち

1950年5月13日、イギリス・シルバーストン
サーキットで行われた初のF1グランプリは、
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナが乗る
「Tipo 158 ”アルフェッタ”」が勝利。
この年のアルファ ロメオの強さは圧倒的で、
全7戦中、参戦した6戦すべてに優勝。
ファリーナは年間チャンピオンの座に輝いた。

栄光の第一歩

1951年のF1シーズンを戦ったアルファ ロメオの
ドライバーたち。左からルイジ・ファジオーリ、
この年のチャンピオンとなったファン・マヌエル・
ファンジオ、前年のチャンピオンである
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナ。
彼らは共通するイニシャルから
「スリー・エフ(3F)」と呼ばれた。

「私は母を殺してしまった」

前年に続き1951年にF1の年間王者に輝いた
アルファ ロメオだが、シーズンで唯一
土をつけたのが、かつてアルファ ロメオに
所属していたエンツォ・フェラーリのチームである。
勝利の瞬間、エンツォは涙を流しながら
「私は母を殺してしまった」と語ったという逸話は、
あまりにも有名である。

過渡期における挑戦

1951年のF1撤退後、アルファ ロメオは
1976年よりエンジンサプライヤーとして
F1に本格復帰。1977年の日本GPでは「ブラバム-
アルファ ロメオ BT-45」で7位入賞を果たす。
1979-85年は自身のワークス体制で
F1に参戦したが、皮肉にも日本GPの
休止期間中であり、日本のファンが
その勇姿を目にすることはなかった。

復活の狼煙

2017年11月に行われた記者会見にて、
アルファ ロメオは三十数年ぶりとなるF1への
カムバックを発表する。当時のFCAグループ
CEOであった、故セルジオ・マルキオンネは
「アルファ ロメオは、そのユニークかつ
伝説的な歴史に、新たなチャプターを描くことを
固く決意している」と語った。

時代を超えた情熱の証

2019年のイギリスGP。F1史上初の
レースである1950年の同GPで優勝を飾った
アルファ ロメオの栄誉を讃え、パレードランが
行われた。そこに登場したのは、ファン・マヌエル・
ファンジオを1951年の年間王者へ導いた
「Tipo 159 “アルフェッタ”」。
ドライバーはキミ・ライコネンが務めた。

新たなる伝説

2020年のポルトガルGP。
キミ・ライコネンは、オープニングの
わずか80秒で16番手から10台のマシンを
抜き去る、驚異的なドライブを披露。
2005年の日本GPで17番手スタートから
優勝を決めた、伝説のレースを
彷彿とさせるパフォーマンス。
ライコネンは「大した意味はない」と語ったが、
この走りは世界中のファンが選ぶ
「2020年 FIA アクション・オブ・ザ・イヤー」
に選ばれたのである。

Model