1950年5月13日、イギリス・シルバーストン
サーキットで行われた初のF1グランプリは、
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナが乗る
「Tipo 158 ”アルフェッタ”」が勝利。
この年のアルファ ロメオの強さは圧倒的で、
全7戦中、参戦した6戦すべてに優勝。
ファリーナは年間チャンピオンの座に輝いた。
1951年のF1シーズンを戦ったアルファ ロメオの
ドライバーたち。左からルイジ・ファジオーリ、
この年のチャンピオンとなったファン・マヌエル・
ファンジオ、前年のチャンピオンである
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナ。
彼らは共通するイニシャルから
「スリー・エフ(3F)」と呼ばれた。
前年に続き1951年にF1の年間王者に輝いた
アルファ ロメオだが、シーズンで唯一
土をつけたのが、かつてアルファ ロメオに
所属していたエンツォ・フェラーリのチームである。
勝利の瞬間、エンツォは涙を流しながら
「私は母を殺してしまった」と語ったという逸話は、
あまりにも有名である。
1951年のF1撤退後、アルファ ロメオは
1976年よりエンジンサプライヤーとして
F1に本格復帰。1977年の日本GPでは「ブラバム-
アルファ ロメオ BT-45」で7位入賞を果たす。
1979-85年は自身のワークス体制で
F1に参戦したが、皮肉にも日本GPの
休止期間中であり、日本のファンが
その勇姿を目にすることはなかった。
2017年11月に行われた記者会見にて、
アルファ ロメオは三十数年ぶりとなるF1への
カムバックを発表する。当時のFCAグループ
CEOであった、故セルジオ・マルキオンネは
「アルファ ロメオは、そのユニークかつ
伝説的な歴史に、新たなチャプターを描くことを
固く決意している」と語った。
2019年のイギリスGP。F1史上初の
レースである1950年の同GPで優勝を飾った
アルファ ロメオの栄誉を讃え、パレードランが
行われた。そこに登場したのは、ファン・マヌエル・
ファンジオを1951年の年間王者へ導いた
「Tipo 159 “アルフェッタ”」。
ドライバーはキミ・ライコネンが務めた。
2020年のポルトガルGP。
キミ・ライコネンは、オープニングの
わずか80秒で16番手から10台のマシンを
抜き去る、驚異的なドライブを披露。
2005年の日本GPで17番手スタートから
優勝を決めた、伝説のレースを
彷彿とさせるパフォーマンス。
ライコネンは「大した意味はない」と語ったが、
この走りは世界中のファンが選ぶ
「2020年 FIA アクション・オブ・ザ・イヤー」
に選ばれたのである。